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大阪地方裁判所 平成7年(ワ)6700号 判決

原告

小黒常喜

被告

植野聡

主文

一  被告は、原告に対し、金五二二万〇一四〇円及びこれに対する平成三年一二月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その一を被告の、その余を原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金五九九九万〇六七六円及びこれに対する平成三年一二月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、道路を歩行横断中の原告と被告運転の普通乗用自動車との衝突事故によって原告が損害を受けたとして、右自動車の保有者であり運転者である被告に対して自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条及び民法七〇九条に基づき損害賠償を請求している事案である。

一  争いのない事実等(証拠により認定する場合には証拠を示す。)

1  事故(以下「本件事故」という。)の発生

(一) 発生日時 平成三年一二月六日午前五時四〇分ころ

(二) 発生場所 大阪市西区新町一丁目三〇番一六号先府道大阪伊丹線の交差点(以下「本件交差点」という。)上

(三) 加害車両 普通乗用自動車(なにわ五五り三九四六)

右運転者 被告

右保有者 被告

2  原告の受傷

原告は本件事故により、脳室内出血、右上腕骨骨折、右尺骨骨折、右僥骨骨折、右腓骨頭骨折、右下腿(脛骨、腓骨)開放性粉砕骨折、右膝関節骨折(脛骨外側、前十字靭帯付着部)、骨盤骨折(右恥骨)、顔面裂創、右耳裂創の傷害を負い、大阪大学医学部付属病院に救急搬送された。

3  原告の入通院の経過

原告は本件事故後、以下のとおりの入通院治療を受けた((一)〈1〉については当事者間に争いがなく、(一)〈2〉については乙九の1ないし7、甲二三の2によって、(一)〈3〉については甲二二の1、2によって、(二)〈1〉については甲二三の2、乙一〇の1ないし7、(二)〈2〉については甲二二の1、2によって、(二)〈3〉については甲二五によってそれぞれ認められる。)。

(一) 入院治療

〈1〉 大阪大学医学部付属病院(七日)

平成三年一二月六日から同月一二日まで

〈2〉 大野記念病院(合計二八七日)

平成三年一二月一二日から平成四年六月一〇日まで平成四年九月二日から同年一〇月二一日まで

平成五年三月一〇日から同月二二日まで

平成五年四月一四日から同月三〇日まで

平成六年四月一三日から同月一九日まで

平成六年四月二七日から同年五月二日まで

平成六年五月二五日から同月二八日まで

平成九年五月二六日から同年六月二日まで

〈3〉 大阪市立大学医学部付属病院(合計一〇二日)

平成五年九月一日から同年一一月七日まで

平成六年二月一五日から同年三月二〇日まで

(二) 通院治療

〈1〉 大野記念病院(実通院日数一四八日)

平成四年六月一二日から平成七年六月一八日まで

〈2〉 大阪市立大学医学部付属病院(実通院日数一九日)

平成五年八月九日から平成六年三月二八日

〈3〉 たつえ医院(実通院日数一日)

平成六年一月二六日

4  損害のてん補

原告は、本件事故による損害のてん補として以下のとおり合計一一六三万四七七四円の金員を受領した。

(一) 加害車両の任意保険会社から七八二万五六一四円。

(二) 加害車両の自賠責保険から三八〇万八五六〇円。

(三) 事故証明書代として六〇〇円。

二  争点

1  本件事故態様、被告の過失及び過失相殺

(原告の主張)

本件事故は、被告の運転する加害車両が制限速度をオーバーし、しかも信号を無視して本件交差点に進入し、本件交差点の南側横断歩道上を歩行横断中であった原告に衝突したというものであり、本件事故は被告の一方的過失により生じたものである。

(被告の反論及び主張)

原告の主張する事故態様については否認する。本件事故は、被告が加害車両を運転して本件交差点を対面青色信号に従って北から南へ走行していたところ、交差点南側の横断歩道から一〇メートル弱ほど南にある植木の手前近く(横断歩道から南約六メートルの地点)から飲酒酩酊した原告が急に出てきたため避けきれずに轢いたというものであり、原告の過失割合は八割を下らない。

2  原告の後遺障害の内容、程度

(原告の主張)

(一) 上肢の障害

原告は、現在も、右肩痛を訴え、右肩関節は可動範囲が正常可動範囲の七二パーセントに制限され、右肘関節も可動範囲が正常可動範囲の八六パーセントに制限されている。

日常生活においても「洗面するとき右肩が突っ張って痛い」、腕を上げることが痛くて困難で、風呂でも頭を洗うにも苦労する。特に右手を使うことが不自由で、体は洗いにくい。背中は洗えない。」、「右腕を肩より上に上げることが困難で、肩の高さよりも上にあるものを取ることができない。」などの障害が残存している。右のとおり、上肢については、右肩の関節可動域が四分の三以下に制限され、肘関節についても一定の機能障害が残り、日常生活に多大の不便を来している。

このような上肢の障害は、上肢の機能に著しい障害を残すものとして、後遺障害等級一〇級に該当するものというべきである。

(二) 下肢の障害

原告は、現在も、右膝痛と右膝の動揺性を訴え、日常生活においても松葉杖を離せず、様々な日常生活上の障害が残存している。

また、右足関節は、可動範囲が正常可動範囲の七二パーセントに制限され、右膝関節も可動範囲が正常可動範囲の九三パーセントに制限されている。

さらに、右下腿部の皮膚、筋肉の萎縮や、右脛骨の変形癒合が見られ、こうした下肢の障害は、特に右膝の動揺性により松葉杖が離せず、日常生活に著しい障害があることからすれば、一下肢の三大関節中の一関節の用を廃したものに等しく、後遺障害等級八級七号に該当するというべきである。

(三) 醜状痕

原告には、右頬部に長さ一〇センチメートルの数本の線状瘢痕、喉部に一四センチ×一二センチの斑状瘢痕、右耳介部醜状瘢痕、右肩部に長さ一七センチメートルの肥厚性瘢痕、右腕裏に一一センチメートルの線状瘢痕、右下腿部全体に開放創、手術創、ピンの挿入部創、皮膚の萎縮の醜状が残存している。

これらのうち、少なくとも右頬部、喉部、右耳介部は、「外ぼう」と解されるべきであり、その醜状の大きさからしても、それぞれ後遺障害等級一二級一三号に該当すると解されるべきで、併合して後遺障害等級一一級とされるべきである。

(四) 以上のとおり、原告には、上肢に後遺障害等級一〇級に該当する障害が、下肢に後遺障害等級八級七号に該当する障害が、外ぼうに後遺障害等級一一級に該当する醜状障害が残存している。これらの障害はそれぞれ系列を異にしているので、併合して二級繰り上げ後遺障害等級六級とするべきである。

(被告の反論)

(一) 上肢の障害について

原告の右肩及び右肘関節の可動域はいずれも原告が主張するほどには制限されていない。また、右肩関節及び右肘関節の制限は、いずれも健側の運動可能領域の四分の三以下に制限されていないため、後遺障害等級一二級に該当しないし、ましてや原告が主張する一〇級に該当するということはない。

(二) 下肢の障害について

原告の右膝関節の動揺性について、原告の右膝関節の動揺性は固定装具を必要とするものではなく、また靭帯損傷についても手術(再建術等)の経過はなく、高度の動揺性があるとはいえないので、後遺障害等級一二級七号に該当するに過ぎない。

右足関節の可動域が健側に比べて七二パーセントに制限されているが、原告は、本件事故により右足関節自体を直接損傷していないため、右足関節に負担がかかったことによる疼痛性の可動域低下と考えられ、一過性のものであり永久残存性がない。したがって後遺障害とされるべきではない。

右大腿部径、下腿部径が健側に比して細くなっているが、これは長期治療の影響で、右下肢を庇っていたため細くなっているものであり、時間の経過により回復するものであり永久残存性はなく後遺障害とはいえない。

右膝関節の可動域が九三パーセントに制限されているが、後遺障害として評価するほどの可動域制限があるとはいえない。

さらに右脛骨の変形についても、原告の脛骨の変形の程度は外部から想見できるほどには至っておらず、後遺障害として評価することはできない。

(三) 原告の醜状痕については、自賠責保険の審査でも認められておらず、認められない。

3  原告の損害

(原告の主張)

(一) 治療費 合計 八一七万八二九七円

(内訳)

(1) 大野記念病院 六〇一万八一六七円

(2) 大阪市立大学医学部付属病院 二〇二万八〇三〇円

(3) 白菊調剤薬局 一二万九六〇〇円

(4) たつえ医院 二五〇〇円

(二) 室料(大野記念病院) 九〇万〇八二〇円

(三) 右短下肢装具代 三万八七五〇円

(四) 文書料 合計 六万二六五〇円

(内訳)

(1) 大野記念病院 四万八四一〇円

(2) 白菊調剤薬局 一万四二四〇円

(五) 入院雑費 三八万九〇〇〇円

(六) 通院交通費 三〇万〇八三〇円

(七) 休業損害 六六四万七三五五円

原告は、本件事故当時、株式会社ヴァンノルドに勤務し、月額一七万〇四四五円の給与を得ていたもので、事故後、平成七年三月三日の症状固定に至るまで三九か月の休業を要した。

(八) 後遺障害逸失利益 三〇一〇万七七四八円

原告は、本件事故当時、株式会社ヴァンノルドに勤務し、月額一七万〇四四五円の給与を得ていた。原告の後遺障害の程度は後遺障害等級六級に相当するものであり、原告はその労働能力を終生六七パーセント喪失した。原告は症状固定時二六歳であるところ、本件事故がなければ六七歳までの四一年間就労可能であったから、その間の得べかりし利益を新ホフマン方式によって中間利息を控除して算定すると、標記金額となる。

(九) 入通院慰謝料 五〇〇万円

(一〇) 後遺障害慰謝料 一五〇〇万円

(一一) 弁護士費用 五〇〇万円

(一二) よって、原告は、被告に対し、損害賠償として、以上の損害金合計七一六二万五四五〇円から前記のてん補金合計一一六三万四七七四円を控除した五九九九万〇六七六円及びこれに対する本件事故日である平成三年一二月六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三当裁判所の判断

一  争点1(本件事故態様、被告の過失及び過失相殺)について

1  事故態様を認定する上で前提となる事実

前記争いのない事実等(第二の一)に証拠(甲一、一三ないし一八、検甲一ないし三三、三四の1ないし9、乙一の2ないし4、四、五の1、2、七、原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すると以下の事実が認められ、これを左右するに足る証拠はない。

(一) 事故現場の概況

(1) 本件事故現場付近の概況は別紙交通事故現場見取図(以下「別紙図面」という。)のとおりである。現場は、市街地を南北に延びる府道大阪伊丹線(通称・なにわ筋)(以下「本件道路」という。)と東西に延びる片側一車線の道路によって形成されている、信号機によって交通整理の行われている交差点(本件交差点)付近である。本件交差点からひとつ北側の信号機のある交差点までの距離は約八五メートルである。

(2) 本件道路は歩車道の区別があり、歩道部分を除いた総幅員は約二八メートルある道路であるが、北行車線、南行車線とも並木の植え込みのある分離帯(幅員約一・六メートル)によって本線部分と側道部分が区分されており、本線部分は片側二車線で、本線の南行の外側車線(以下「南行第一車線」という。)の幅員は約三・四メートル、同内側車線(以下「南行第二車線」という。)の幅員は約三・二メートルであり、南行きの側道部分の幅員は約六・〇メートルである。本件道路は、本件事故現場付近ではほぼ直線であり、本線部分を南下する者にとって前方の見とおしはよいが、側方の見とおしについては、分離帯の並木によって見とおしを妨げられるため、左右とも見とおしは悪い。本件道路の本線部分南行車線の最高速度は、時速五〇キロメートルの規制がなされている。

(3) 本件交差点の東詰、西詰、南詰、北詰付近にはそれぞれ横断歩道が設置されており、それぞれの横断歩行者用の信号機が設置されている。

(4) 本件事故発生当時、事故現場付近の天候は曇りであり、路面は乾燥していた。

(5) 事故当日の事故現場付近の日の出の時刻は午前六時二三分であり、事故発生当時は日の出の約四〇分前の黎明というべき状態であったが、事故現場付近は照明等によって明るく、一〇メートルほどの距離にある物は確認できる状況であった。本件道路の交通量は、事故発生から二〇分後くらいに行われた実況見分当時、三分間で一八〇台に上っていた。

(6) 本件事故発生時刻ころに本件道路を南下する場合、京町堀一丁目西交差点で赤信号で停止した車両は、その後青信号で発進し、時速六〇キロメートルを越える速度で進行すれば、信号機の表示が連動しているため、本件交差点は青信号で通過することができ、さらにその先の西大橋交差点に至って青信号または黄信号が表示されるという状況であった

(二) 本件事故前の関係者の動き

(1) 本件事故当日、原告は、勤務先である株式会社ヴァンノルドの北新地本通り店で午前二時まで勤務し、午前二時半ころ仕事を終えて、勤務先の同僚らとともに寿司屋に行き、寿司を食べながら酒を飲んだ後、寿司屋の近くのカラオケボックスに行き、水割りを飲んだりしながら午前五時くらいまで過ごした。

その後、原告は一人でタクシーに乗り、御堂筋沿いの周防町で下車して行きつけのスナックに行こうとしたが、同店の開店時間が午前五時までであったことから、同店に行くのをあきらめて、西区新町二丁目の自宅に徒歩で帰ることとし、御堂筋を北上して長堀通との交差点を左折し、長堀通の北側の歩道を西進して本件道路との交差点(西大橋交差点)に至り、同交差点を左折し、本件道路東側の歩道を北上し、本件交差点付近に至った。なお、原告は本件事故による衝突時から意識を失い、一日後に意識が回復し始めたものの、頭部を打ったため正常な意識状態に戻るにはさらに一週間ほど要した。

(2) 他方、被告は、本件事故当日、JR大阪駅構内にある勤務先の株式会社大阪鉄道荷物(大阪市北区梅田三丁目二番一四九番地所在)を午前五時二〇分から三〇分くらいの間に、加害車両を運転して出発し、国道二号線を西へ行き、本件道路との交差点を南に左折し、時速七〇キロメートル近い速度で本件道路南行第一車線を走行し、いったん土佐堀通りの交差点の二つ先の交差点で赤信号のため停止し、その後青信号で発車して本件交差点に至った。

(三) 事故直後の本件事故現場の状況

(1) 別紙図面に記載のとおり、原告の所持していた黒色セカンドバッグが、本件交差点南詰にある横断歩道(以下「本件横断歩道」という。)の南端から約一七・二メートル南の南行第二車線上に残され、さらに同人の右足の靴が本件横断歩道南端から約一八・八メートル南の南行第一車線上に残され、同人の被服痕が本件横断歩道南端より約一七・二メートル南の地点から約一三・九メートルにわたって車線に対して斜めに印象されていたほか、被服痕の南端である本件横断歩道南端から約三一・〇メートル南の地点付近には原告の受傷によって形成された血溜まりが残されていた。路上に加害車両によるスリップ痕は認められなかった。

(2) 加害車両は本件交差点から約七〇メートル南下した地点に停止していたが、同車両の損傷状況は、前部ボンネット助手席側が凹損し、フロントガラスの助手席側に上下二カ所にわたり穴が空き、下の方の穴についてはその周囲がクモの巣状に破損していたほか、前部ナンバープレートの左側が内側に折れ曲がっていた。

(四) 目撃者の目撃状況

本件事故当時、本件交差点南詰の東側歩道上で路上生活をしていた濱田省三(同人は、別紙図面に表示の「歩行者横断禁止標識」の付近で生活していた。)は、朝食の仕度にかかっていたところ、加害車両が原告に衝突した際の「ドーン」という衝撃音が本件横断歩道付近からしたのを聞いた。

(五) 実況見分時における被告の指示説明及び加害車両の走行状況中の信号表示

(1) 被告は、本件事故から約二〇分経過した平成三年一二月六日、午前六時から実施された大阪府西警察署の警察官による実況見分に立会し、その際、本件事故現場において、右警察官に対し、「(被告は、)別紙図面〈1〉の地点(以下番号及び記号のみを示す。)で対面信号〈甲〉の青色を見た、〈2〉の地点で遠望し前方の信号を見、〈3〉の地点で前方に佇立するような相手方〈ア〉を見て急制動の措置を執るも間に合わず、〈4〉の地点で加害車両前部を相手方に衝突させ(衝突地点は〈×〉)、〈5〉の地点に加害車両を停車させ、降車して確認したところ、相手方が〈イ〉地点に転倒していた。」旨の指示説明を行っている(以下「実況見分(一)」という。)。

(2) 西警察署の警察官は、本件事故現場に至る加害車両の走行状況を明らかにするとともに、信号表示を確認する目的で、平成四年二月一四日、交通事故処理パトカーに被告を同乗させ、左記の通りの実況見分を行った(以下「実況見分(二)」という。)。

〈1〉 被告の勤務先である大阪鉄道貨物前路上を午前五時二五分ころ出発し、西進して国道二号線に入り、午前五時二八分、なにわ筋(「本件道路」)と交差する交差点を南に左折して、本件道路を南進し、福島公設市場前交差点で対面信号が赤色表示のため停止した。

〈2〉 右交差点を青色信号で発進し、時速約五五キロメートルに加速してさらに本件道路を南進し、午前五時三〇分住友病院前交差点に至り、赤色信号のため同交差点で停止した。

〈3〉 右交差点を青色信号で発進し、時速約五五キロメートルでさらに本件道路を南進し、土佐堀一丁目交差点を青色信号で通過し、午前五時三三分、京町堀一丁目西交差点に至り、赤色信号のため同交差点で停止した。

〈4〉 右交差点を青色信号で発進し、時速約六〇キロメートルでさらに本件道路を南進したが、進行方向の各交差点の信号は連動しているため、全て青色表示となっており、阿波座一丁目交差点の信号も青色表示で通過し、午前五時三五分に、前記京町堀一丁目西交差点から約九〇〇メートル南方の本件交差点にさしかかったところ、対面信号は青色を表示し続けており、同交差点を通過すると同時に、さらに南前方の西大橋交差点の対面信号は青色表示から黄色表示に変化した。

〈5〉 以上の結果、加害車両が午前五時二五分ころ大阪鉄道貨物前を出発し、時速約六〇キロメートルを超える速度で、本件道路を南進すれば、西大橋交差点を青色信号又は黄色信号で通過できることが判明した。

2  私的鑑定の結果の検討

(一) 本件事故の態様については、荒居茂夫作成の「鑑定書」(甲一二)及び同人の証言(以下これらをまとめて「荒居鑑定」という。)並びに中原輝史作成の「鑑定書」(乙二)「意見書」(乙三、六)及び同人の証言(以下これらをまとめて「中原鑑定」という。)が、それぞれ分析を加えている。荒居鑑定、中原鑑定ともに本件交差点南詰付近で加害車両が原告に衝突し、衝突後原告は加害車両のボンネット上に跳ね上げられた上、原告は頭をフロントガラスに打ち付けたと解析している点では同じであるが、衝突地点が横断歩道上であったかどうか、衝突時の加害車両の速度及び制動の有無については異なった結論を示している。そこで、双方の鑑定の信用性について検討する。

(二) まず、荒居鑑定は、衝突地点につき本件横断歩道内で南行第一車線内の中央より多少右寄りの地点とし、加害車両の衝突時の状態につき時速六五キロメートル程度でほぼ非制動状態であったと解析しているところ、この荒居鑑定においては、人体の重心の速度が車両速度の一六パーセントであるとして、その前提のもとに着地時の水平速度から加害車両の速度を算定している。しかしながら、先ず、本件事故現場にスリップ痕がなかったとの一事をもって加害車両が非制動状態であったと即断できず、右数値の算定根拠となっているボンネットの先端部の高さは、いずれも推測にとどまりその根拠が不明であるし、かりに荒居鑑定のいうとおりボンネットの左から身長一六八センチメートル・体重六〇キログラムの原告の身体が滑り落ちたとすると、加害車両の左フェンダーミラー等にまったく損傷が生じないのは不自然である。また、被服痕は斜めに印象されており原告には衝突時に斜め方向の外力が加えられたと解されるのに、荒居鑑定はその点につき合理的な説明をなし得ていない。したがって、荒居鑑定はその内容に不合理な点があるほか、客観的な事実に裏付けられていない点があり、ただちに採用することはできない。

(三) 他方、中原鑑定は、衝突場所につき被服痕の始まりの地点の北方六・九七メートルないし八・八三メートル付近の地点とし、加害車両の衝突時の速度につき時速四二・〇キロメートルないし四九・七キロメートルであったと解析している。しかしながら、中原鑑定の速度に関する解析は原告の身体が落下したときの衝撃による減速を考慮しているかどうか明らかではない上、被告自身、衝突時の加害車両の速度は時速七〇キロメートル程度であったと供述していることからして、本件事故当時に加害車両の速度が時速五〇キロメートルを下回る速度であったとはとうてい考えられず、結局中原鑑定もこれをそのまま採用することはできない。

(四) 結局のところ、これらの鑑定は、衝突場所についてはおおむね一致しており信用することができるものの、その他の点については信用性に疑問が残るといわざるを得ない。

3  信号表示について

信号表示について、原告は、自分の対面信号が青色表示であったと供述し、また、甲一三、一五にも同様の記載があり、これに対し、被告は、加害車両の対面信号が青色表示であったと供述し、また、実況見分(一)における指示説明も同様である。しかしながら、原告は本件事故後しばらく記憶を喪失していたことに加え、原告の供述及び甲一三、一五の記載内容は、原告が本件交差点の北側の横断歩道を歩いていたとの事実を前提とするなど明らかに客観的な事実と符合しないものであって信用性に劣るものというべきであり、他方、被告の右供述及び実況見分(一)の指示説明は信号の連動性などに鑑み、実況見分(二)の結果と符合するものと認められ、結局、認定の前提となる事実と矛盾するところがなく 信用に値するものというべきである。

4  以上の検討してきたところに、原告の事故直後の負傷状況、証拠(甲一三[前記信用しない部分を除く。]、一四、一五[前記信用しない部分を除く。]、乙四、原告本人[前記信用しない部分を除く。]、被告本人)及び弁論の全趣旨を総合すると、被告は、本件事故発生当時、加害車両を運転して、対面の青色信号に従い時速七〇キロメートル程度の速度で南行第一車線を走行し、本件交差点を通過して別紙図面記載〈3〉の地点にさしかかったとき、前方の横断歩道南端ないし別紙図面記載〈×〉地点のやや南側の地点の間の道路脇から車線上に出てきた原告を認めて、慌ててブレーキを踏むとともに右にハンドルを切ったが原告を避けきれず、加害車両前部を原告の身体右側に衝突させたものであると認めるのが相当であり、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

5  以上の認定説示に基けば、本件事故は、被告が加害車両を運転して本件交差点を通過するに際し、本件事故現場付近は市街地であるから、前方を注視した上で制限速度を遵守して走行すべき注意義務があったにもかかわらず、遠方の信号に気を奪われてほとんど前方を注視することなく、しかも時速七〇キロメートルという高速で、漫然と本件交差点を通過しようとした過失によって生じたものである。しかしながら、他方、原告も対面信号が赤色表示であったのであるから信号の表示に従って横断を差し控えるべきであったのに、これに反して横断歩行を強行しようとした過失があるので、双方の過失の内容、程度、本件事故が歩行者と自動車の事故であること等諸般の事情を考慮し、本件においては過失相殺として原告に求められる全損害から五割を控除することとする。

二  争点2(原告の後遺障害の内容、程度)について

1  前記争いのない事実等(第二の一)に証拠(甲二ないし六、七の1、一五、証人小黒素子、原告本人)を総合すると以下のとおりの事実が認められる。

(一) 原告は、本件事故後直ちに、大阪大学医学部付属病院に搬送され、脳室内出血、顔面裂創、右下腿開放性骨折、右腓骨頭骨折、右膝関節内骨折、骨盤骨折(右恥骨)、右上腕骨骨折、右尺骨骨折、右撓骨近位端骨折と診断され、その後、同病院、大野記念病院、大阪市立大学医学部付属病院で治療を受けた。

(二) 大野記念病院の夫猛医師は、原告の症状は平成七年三月三日に症状固定したものと診断したが、その際の原告の自覚症状としては、右膝痛、右下肢機能障害あぐら正座不可、階段昇降時手すり必要、立位保持は三〇分程度、歩行は一キロメートル程度、右肩痛、右膝の動揺性を認め、他覚的所見としては右膝の靭帯機能不全による右膝の動揺性(特に前方引きだし、外反不安定性あり)、右下腿部の筋肉萎縮、右腓骨の変形癒合さらに醜状痕(右頬部に長さ一〇センチメートルの数本の線状瘢痕、頸部に一四センチメートル×一二センチメートルの斑状瘢痕、右肩から右腕にかけて長さ一七センチメートルの肥厚性瘢痕、右腕に一一センチメートルの線状瘢痕、右下腿全体に開放創)及び右足のしびれを認めている。

(三) 右症状固定時の各関節の可動域は次のとおりであった。

まず、肩の可動域について、前挙は右の他動が一五〇度(自動一四〇度)(以下特に断らない限り、かっこ内は全て自動である。)、左は一八〇度(一八〇度)、後挙は右七〇度(五〇度)、左七〇度(六〇度)、側挙は右一六〇度(一三〇度)、左一八〇度(一八〇度)、外旋は右五〇度(四〇度)、左七〇度(六〇度)であった。

次に、肘の可動域は、屈曲が右一三〇度(一二五度)、左一五〇度(一四五度)、伸展が右〇度(〇度)、左〇度(〇度)であった。

足関節の可動域は、背屈が右二〇度(一五度)、左三〇度(三〇度)、底屈は右四五度(四五度)、左六〇度(六〇度)であった。

最後に膝の可動域は、屈曲が右一四〇度(一三〇度)、左一五〇度(一五〇度)、伸展が右左の自動他動とも〇度であった。

(四) 原告は本件事故によって右足関節に骨傷を負っておらず、その後の治療においても原告の右足関節に器質的な障害が生じたものと認めることはできないので、原告の右足関節に生じた可動域制限については廃用性拘縮に伴う疼痛性のものである可能性が高い。

(五) 原告には現在においても、右脚部(特に膝及び足関節)や右肩、右手に右(二)で認定したような可動域制限や疼痛が残存しており、日常生活の七割がたは松葉杖をついて歩かなければならず、骨髄炎を発症する恐れが継続している状態である。

(六) 自賠責保険の事前認定においては、原告の後遺障害につき、右膝の動揺関節が一二級七号、骨盤骨からの骨移植による骨盤骨の変形が一二級五号に該当するとされ、併合一一級と認定された。

2  とこころで自賠責保険の実務上、上肢、下肢の機能障害において「関節の機能に著しい障害を残すもの」とは、関節の運動可能領域が健側の運動可能領域の二分の一以下に制限されているものをいい、「関節の機能に障害を残すもの」とは関節の運動可能領域が健側の運動可能領域の四分の三以下に制限されているものをいうとされていること、下肢の動揺関節については、労働に多少の支障はあっても、固定装具の装着を常時必要としない程度のものは「機能に著しい障害を残すもの」にあたるとされ、通常の労働には固定装具の装着の必要がなく、重激な労働等に際してのみ必要のある程度のものは「機能に障害を残すもの」にあたるとされていること、外ぼうの醜状痕について「著しい醜状痕を残すもの」とは、顔面部にあっては、鶏卵大面以上の瘢痕、長さ五センチメートル以上の線状痕または一〇円銅貨大以上の組織陥凹をいうとされていることは、当裁判所に顕著な事実であるから、右に認定した原告に残存している障害についてみると、まず右膝の可動域制限については一二級七号に、右足関節の可動域制限については一二級七号に、骨盤骨の変形については一二級五号に、顔面醜状痕については一二級一三号に、下肢醜状痕については一四級五号にそれぞれ該当するものであるが、右以外の下肢の症状及び上肢の関節機能障害については等級表には該当しないということになり、結局自賠責の等級表においては原告の後遺障害は併合一一級となると認められる。原告は右下肢の動揺関節については一〇級に該当するものであると主張するが、前記認定の原告の右膝の症状の程度に照らすと固定装具の必要性があるとまでは認められないので、原告の主張は採用できない。

ところで、自賠責保険の実務において、後遺障害等級一一級の者の労働能力喪失率が二〇パーセントと扱われていることは当裁判所に顕著な事実であるが、原告の後遺障害逸失利益を認定する上での前提となる労働能力喪失率は右の取扱いに拘束されるものではないことは、もとより当然であり、前記認定の原告の等級表に該当する後遺障害の内容、程度に加え、原告には等級表には該当しないものの上肢や肩の関節に一定の後遺障害が残存していること、骨髄炎の発症の恐れはこの先も続くこと、一方において足関節の後遺障害については今後改善する可能性があること、骨盤骨の変形及び醜状痕についてはこれらの障害が直ちに原告の稼働能力に影響を及ぼすとは考えにくいことといった事情を総合すると、原告は本件事故によりその労働能力を生涯にわたり二五パーセント喪失したものと認めるのが相当である。

三  争点3(原告の損害)について(円未満切り捨て)

1  治療費 合計八一七万八二九七円

(一) 大野記念病院(甲二三の1、2) 六〇一万八一六七円

なお、右治療費には、症状固定後の治療の分も含まれているが、右症状固定後の治療は本件事故によって菌の骨への付着が生じ、そのために発症した骨髄炎の治療であると認められる(甲二三の2)から本件事故と相当因果関係を有するものであると認められる。

(二) 大阪市立大学医学部付属病院(甲二二の1、2) 二〇二万八〇三〇円

(三) 白菊調剤薬局(甲二四の1、2) 一二万九六〇〇円

なお、右費用にも症状固定後に投薬された分が含まれているが、右(一)で述べたとおり、骨髄炎の治療は本件事故と相当因果関係があり、症状固定後の投薬も右治療に伴って処方されたものと認められる(弁論の全趣旨)ので、本件事故と相当因果関係を有するものであると認められる。

(四) たつえ医院(甲二五) 二五〇〇円

2  室料 五六万八九〇〇円

証拠(甲一五、二三の1、2、乙九の1)及び弁論の全趣旨によれば、原告は平成三年一二月一二日から翌平成四年二月四日までの五五日間及び平成九年五月二六日から同年六月二日までの八日間は、個室利用の必要性があり、そのために平成三年一二月一二日から平成四年二月四日までは五五万円を要したこと(なお、診療報酬明細書に記載された室料差額の合計は八八万円であるが、甲二三の2によれば後に大野記念病院が請求額を五五万円に減額した事実が認められる。)、平成九年五月二六日から六月二日までは一万八九〇〇円を要したことが認められる。したがって、本件事故と相当因果関係を有する原告の室料としては、五六万八九〇〇円をもって相当と認める。

3  右短下肢装具代 三万八七五〇円

証拠(甲九の1ないし3)及び弁論の全趣旨によれば、原告は本件事故によって受けた傷害の治療のために右短下肢装具を装着する必要性があり、右装具の費用として三万八七五〇円を要した事実が認められる。したがって、本件事故と相当因果関係を有する右下肢装具代は三万八七五〇円をもって相当と認める(原告主張のとおり)。

4  文書料 合計六万二六五〇円

(内訳)

大野記念病院(甲二三の1、2) 四万八四一〇円

白菊調剤薬局(甲二四の1、2) 一万四二四〇円

5  入院雑費 三八万九〇〇〇円

前記争いのない事実等(第二の一)記載のとおり原告の入院期間は合計三九五日であり、その間の入院雑費は少なくとも一日一〇〇〇円は要すると認められる(弁論の全趣旨)ので、原告の入院雑費としてはその主張である三八万九〇〇〇円の限度で認める。

6  通院交通費 〇円

原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば原告が通院する際に交通機関を利用する必要性のあったことは認められるが、本件全証拠によっても原告が通院のために要した費用は明らかではない。

7  休業損害 六六四万七三五五円

前記争いのない事実等(第二の一)、証拠(甲一〇、一一、一三、一五、一六、乙九の1ないし7、乙一〇の1ないし3、証人小黒素子、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告は本件事故前は株式会社ヴァンノルドに勤務し、少なくとも月額一七万〇四四五円の給与を支給されていたこと、原告は本件事故による受傷の治療のため本件事故日である平成三年一二月六日から症状固定日である平成七年三月三日までのほぼ三九か月間は全く就労することができなかったこと、事故後会社からは全く給料が支給されていないことが認められる。したがって、本件事故と相当因果関係を有する休業損害は六六四万七三五五円であると認める(原告主張のとおり)。

8  後遺障害逸失利益 一〇三二万四八七六円

前記争いのない事実等(第二の一)、証拠(甲七の1、一〇、一一、一三、一五、一六、乙九の1ないし7、乙一〇の1ないし3、証人小黒素子、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告は本件事故前は株式会社ヴァンノルドに勤務し、少なくとも月額一七万〇四四五円の給与を支給されていたこと、原告の症状は平成七年三月三日に症状固定したこと、原告の症状固定時の年齢は二六歳であったこと(本件事故当時は二三歳)、原告は本件事故後会社を退職したことが認められる。就労可能年齢が六七歳とされていることは当裁判所に顕著な事実であるところ、原告は本件事故がなければ症状固定時から就労可能年齢である六七歳に至るまでの四一年間に少なくとも右程度の収入は得ることができたものと認められる(弁論の全趣旨)。しかるに、前認定のとおり(第三の二)、原告は、本件事故により後遺障害を残し、そのために労働能力を二五パーセント喪失したものであるから、事故時から症状固定時までの年五分の中間利息及び右症状固定後の四一年間に対応する年五分の中間利息をそれぞれ新ホフマン方式によって控除し、原告の後遺障害逸失利益の現価を算出すると以下の計算式のとおり一〇三二万四八七六円となるので、本件事故と相当因果関係を有する原告の後遺障害逸失利益は右金額であると認める。

(計算式)

170,445×12×0.25×(22.923-2.731)=10,324,876

9  入通院慰謝料 二五〇万円

原告の傷害の内容、程度、入院の期間、治療の内容等本件弁論に現われた一切の事情を考慮して、右金額をもって相当と認める。

10  後遺障害慰謝料 四〇〇万円

原告の後遺障害の内容、程度等本件弁論に現われた一切の事情、ことに本件においては原告の上肢に等級表には該当しないものの疼痛を伴う障害が残存していること、下肢についても痛みが残っているほか骨髄炎の発症の恐れが残存していることといった事情を考慮して、右金額をもって相当と認める。

11  原告の損害のまとめ

(一) 小括

以上のとおりであるから、原告の本件事故と相当因果関係を有する損害(弁護士費用を除く)は三二七〇万九八二八円となる。これから前記認定にかかる原告の過失割合五割を控除すると一六三五万四九一四円となり、ここからさらに前記争いのない事実等記載のてん補金一一六三万四七七四円を控除すると、右損害のうち被告に負担させるべき分は四七二万〇一四〇円となる。

(二) 弁護士費用 五〇万円

原告がその権利実現のために、訴訟を提起、遂行するに際し、弁護士を委任したことは当裁判所に顕著な事実であるところ、事案の内容、立証活動の難易、認容額の程度等本件弁論に現われた一切の事情を考慮して、右金額をもって相当と認める。

(三) まとめ

(一)に(二)を加えると五二二万〇一四〇円となる。

四  結論

以上のとおりであるから、原告の請求は、被告に対し、金五二二万〇一四〇円及びこれに対する本件事故日である平成三年一二月六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるので、主文のとおり判決する。

(裁判官 三浦潤 山口浩司 大須賀寛之)

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